「本日、快晴、ニイタカヤマノボレ」
なぜか太平洋戦争時の海軍の暗号が頭に浮かぶ。
カンボジアのシェムリアップの空港の保安検査員の険しさを増す瞳に、思わず兵の心が想起されたのか?
当方の出方によっては、日本とカンボジアの外交関係に大きな問題が生じるかも知れない。
ここは、真実を告げた方が良かろう。
「あ〜その〜」
と言いかけた時、怖い目つきの保安検査員の後ろに控えていた妙齢の保安検査員が
「Japan is in the midst of an earthquake. This mother and her daughter may not return safely to Japan. Do not confiscate this item. 」
と到底、女とは思えぬの太い声で言ってくれたのである。
『よく言った!あんた、顔は獅子頭みたいだけれど、心は観音様だね!』
と心の中でツッコミを入れながら、当方も畳み掛けるように
「This body cream is a souvenir that my mother, the healthy one standing behind me, bought for me as a memento of my trip. So, no matter what happens, I want to bring it back to Japan and force it on my body.」
と涙まで浮かべて呟いた。
そう…こういう時に、怒ったり、怒鳴ったりするのはまさに阿呆である。
「泣く子と地頭には勝てぬ」
と昔からいうではないか。
特にこの技は、公関係に威力を発揮する。
税務署にも効果的なので、お使いになって如何であろう。
さて、当方が没収されそうになったのは、いやらしい雑誌ではなく、ボディクリームであった。
カンボジアはロータスの香りがする。
宿泊したホテルのショップでこのロータスの香りを嗅いだ当方は、犬のように臭いのする方に引き寄せられ、見本のクリームの蓋を開けてそのテクスチャーと香りを楽しんでいた。
そこにショップの店員がどこからともなく現れる。
細身で小柄。
カンボジアの民族衣装がよく似合うとびきりの美人だ。
当方は、若い男も好きだが、美人に特に弱い。
その可愛らしい店員が、小鳥のような声で当方に囁く。
「この蓮のクリム、トテモイイネ。」
舌足らずの日本がさらに当方の心を唆る。
カンボジアの田舎のホテルの店員が日本語を操ることも素晴らしい。
ジャパンマネーの底力を見た気がした。
『欲しい。
このクリーム欲しい。
だが、200gで5000円は高い。
日本では、ドンキホーテで買ったニベアを塗っているのに、こんな高級なクリームを塗って体が変わったりしないだろうか?
例えば、これ以上、美しくなってKGBの目に留まり、無理やりプーチンの嫁にされてしまったらどうしよう。』
などと逡巡していると、背後霊のように義母がお告げをする。
「Anguさん、そんなに欲しいなら買ってやろうかね?」
ああああ!!
お母さんこそ財務省!!
ジャパンマネーの底力をカンボジア人に見せてやってください!!
「これ、おひとつ戴くわ」
と満面の笑みで、当方はこのクリームを手に入れたのであった。
『ごつい中年のカンボジアの空港の保安検査員さん、ありがとう。
とても、クリームを売ってくれたお嬢さんと同じ人種とは思えないけれでも、あなたは素晴らしい!』
と礼儀正しい当方は感謝をする。
その心は伝わった。
問題は、クリームの量だったのである。
100g以上の液体は手荷物として航空機には持ち込めない。
クリームも然り。
故に、小分けにすれば持ち込みが許されるのだ。
獅子頭のような保安検査員がせんどうの買い物袋のようなビニールをゴミ箱から拾い、これにクリームを小分けにするようにと教示する。
そこで、保安検査員2人と義母、当方は、4人がかりでクリームを小分けにしていく。
後ろに待っている人がいてもお構いなしだ。
手がクリームでベタベタになる。
検査場は、ロータスの香りで満たされる。
保安検査員2人は、ビニールにクリームを入れるふりをして自分の大きな顔や太い腕に塗りまくる。
もはや、親切なんだか山賊なのか分からぬ有様である。
貧しい国にはありがちなのだが、保安検査員が機内持ち込みNGと称して、日本人から持ち物を没収する。
当たり前だ。
5000円のクリームは、一月分の彼らの給料と同じなのだから。
そんなことは南米で慣れっこの当方は、調子に乗って、獅子頭の保安員の顔にクリームを塗りたくる。
彼女も嬉しそうだ。
これで、日本とカンボジアの友好条約は締結されたも同然だ。
ほとんど無くなったクリームのカラ瓶を持って、義母と2人無事に搭乗ゲートに着いてタイに向かうだけとなった。
『本当に日本に帰れるのか?帰国できなかった際には、どうやって義母と2人、タイの男を捕まえようか?』
との当方の懸念をよそに義母は
「Anguさん、お腹すいたねえ。なんか食べるものあったやろかね?」
などと言っている。
カンボジアの空港に食事ができるところなどない。
コーヒーショップもない。
機内食もプロペラ機なので、望めない。
「私の腹の肉でも食べられればいいんですけれどねえ。お母さんのお腹が悪くなるかも知れませんから、タイまで頑張りましょう!私は、タイ料理は嫌いですが、良い嫁なのでお母さんに付き合いますよ。」
と義母の気持ちを奮い立たせた。
2人はこの後、タイに到着してタイの若いいい男を獲得できるのか?
義母は、タイ料理にありつくことができるのか?
諸兄の方々は今まさに手に汗を握られておられることであろう。
目に浮かぶ。
3月に入ってから寒い日が続いていたが、今日は暖かいので、当方は庭仕事をする。
チーズケーキも食べてご機嫌だ!
「命!燃やしていますか?」