義母と嫁のサバイバル「愛」

2024年03月10日 08:06

「お母さん、帰れますよ。日本帰れるんです!!」

ウサイン・ボルトも降参するスピードで義母の元に走る。
義母は、ロビーの椅子でパスポートの入ったバックを腹にしっかり抱えて眠っていた。
嫁の言ったことを守る。
この素直さが、義母の美徳でもあり、魅力でもある。

さて、日本に帰国できるのは嬉しい限りだが、ここで、大きな声を出しては義母の心臓に悪い。
年寄りは、転ぶこと、風邪を引くこと、そして興奮することは厳禁である。
義母の耳元で小鳥のような声で囁く。

「お母さん、お休みのところ恐縮ですが、私の尽力により、日航機が成田に飛ぶことになりました。しかも成田が2時間だけ開きます。関空から、お母さんの家に戻り、私も共に住み着くことも考えましたが、四街道に帰れるんですよ。席はリザーブしてあります。早くチェックインしないと他の人に抜け駆けされてしまうかもしれませんよ。」

自分の手柄は控えめにして、義母にはあくまでも丁重に接する。
これぞ嫁の鑑である。

すると、当方の言葉が終わらぬか終わらぬうちに、東大寺南大門の仁王像の如く、くわっと目を見開いた義母は
「Anguさん、何をのんびり言うとるんかね。はようせんといかんやろ。」
と宣り、スーツケースと当方を力道山も尻尾を巻いて逃げる力で引きずって日航のカウンターに向かって小走りになる。

さすが、週3回、アウトドアのテニスで鍛えた足腰である。
大東亜戦争を生き抜いた人間である。
当方は、竜巻に巻き込まれた木の葉のように翻弄されながらも義母に必死に着いていく。
恐るべし義母
わずか5、6時間前まで熱帯の密林を6時間も歩き、日本の危難を知り精神的にダメージを受けながらもすぐに立ち直る。
とても、空腹を抱えた77歳の老婆とは思えない。
もはやクライマーズ・ハイである。

義母の迅速な対応により、無事、チェックインをして、機上の人となる。
ありがたいことに機内食も出る。
何時間ぶりの食事だろう。
機内食がこれほど有り難く思えたことはなかった。
義母と当方は、兵糧攻めにあって降参した足軽のように、機内食を貪る。

その後はお約束の爆睡である。

ファーストにもビジネスにも乗れなかったが、兎にも角にも帰国の途につけたのである。
こんな幸運はザラにはない。
機内では、顔が青ざめた日本人で満席である。
皆、機内食も喉を通らない様子であった。

タイの観光から帰る人
仕事でタイ駐在だが、日本の家族が心配で帰る人
そして、カンボジアの密林から帰る、満腹かつ爆睡する義母と当方

案じたからと言って日本の状況は変わらない。
ならば、先ず、いかなる状況に置かれても、自分が生き残る術を第一に考えなければならない。
そのためには、飯は食える時に食っておく。
排泄も済ませる。
そして、休める時には寝ておく。
これが、体力を温存する最善策であり、サバイバルの基本である。

「隊長!!Angu一等兵!無事!日本の土を踏むことができました!」

義母はもはや義母ではなく、隊長と化していた。
当方の心は、横井庄一さん若しくは小野田滋さんと化している。

『!!!!!!!!!』

って何この人?

空港は、人人人で溢れている。

そりゃそうだ。
世界から帰国した日本人が成田がオープンした2時間に殺到した。
日本の玄関口は、今は成田国際空港しかない。
鎖国状態の長崎出島と化している。
しかも、日本から脱出する外国人で出国カウンターも溢れかえっている。
当方と義母は、この時にはまだ、日本の状況が分からず、なぜ外国人が母国に帰国しようと成田に殺到しているのか意味不明の状態であった。

電車も動かない。
バスも走らない。
高速道路も閉鎖。

一難去ってまた一難とはこのことである。
漸く、カンボジアからタイに着き、タイから幸運にも2席のみ空いた日航機に乗り込み、帰国はできたもののどうやって四街道の我が家に辿り着けば良いのか?

ここで、真のサバイバルの意味が明らかとなる。

本日は、風は冷たいが、陽射しが暖かい。

春はもう来ている。

さあ、明日の真の大団円に向かって今日も
「命!燃やしていますか?」




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