義母と嫁のサバイバル完結編

2024年03月11日 08:18

成田国際空港

この空港があったからこそ、四街道などという辺鄙でマイナーな土地に家を建てた。
年に4回以上、海外に行くことが趣味の一つであるからして、成田国際空港の近隣に住みたかったのである。
あとは、歴博が佐倉にあったこと。
そして、千葉に三越があったこと。
残念ながら三越は無くなってしまったが、まだ、そごうがある。
ペリエもある。
千葉も案外、捨てたものではないのだ。

さて、無事に何とか帰国できたものの、成田空港は大混乱の様相で、しばし、義母と当方は雑踏を呆然と見つめていた。

戦後の闇市ってこんな感じだったのかな?
買い出しの列車の中ってこんな感じだったのか?
でも、戦後はこんなに外国人はいなかったよね。
いや、進駐軍はいたな。
マッカーサー元帥
日本が植民地にならずに済んだのはなぜだろう。
そういえば、第二次世界大戦後に国家が消滅することが殆ど無くなっているが、それは、いかなる意味を持ち得るのか?
そもそも国家の定義とは何か?

などと思索に耽っていると、
「Anguさん、はよう帰らんと。また地震が来よるよ。」
義母は常に当方を現実に戻してくれる。
当方がソクラテスならば、義母はプラトンやカントの立ち位置で物事を考察するのである。
実に良いコンビだ。

「おかあさん、私は伊達に50年生きていません。よくよくお考えください。私は、常に車で移動します。電車が大嫌いです。バスはまあまあ好きです。さて、四街道の自宅から成田空港まで何で来ましたか?そうです。私の自家用車です。つまり、電車もバスも動かずに右往左往している人々を横目に我々は私の車で帰宅できるのです!!」

そう。
当方は、公共交通機関が嫌いなので、国内は自家用車若しくは航空機でしか移動しないのである。
出雲大社も鳥取砂丘も十和田湖も法隆寺も全部、自家用車を運転していく。
周囲からは
「すごいね」
「でも、大変だよね」
「勇ましい」
「私には無理」
「信じられない」
などの感想を頂戴するが、この非常時に頼れるのは、自分の足と自家用車である。

見よ!このような大災害では運と実力と度胸をもつ者が生き残るのである。

まずは、トイレに行く。
いついかなる時も排泄は肝心だ。
そして、トイレの水が流れることを確認し、持っていた水筒とありったけのペットボトルに水を入れる。
災害時は、停電になるため自販機が使えない(2011年、当時の話である。今は、災害時は無料で自販機を使うことができる。)
故に水の確保が何よりも大切になる。
人間、3、4日食わなくても死なないが、水を飲まなければ確実に弱る。
密林に行く旅であったため、水筒持参であったのは幸いであった。
また、当方は常に自家用車には、1リットルのミネラルウォーターのペットボトルを積んでいる。
救急箱も載せている。
軍手、長靴、ビニール手袋、ゴミ袋、雨がっぱ、新聞紙も然り。
トドメにミートソースの缶詰である。
乾パンなんか食えたもんじゃあない。
栄養不足にもなる。
それに比べて、缶詰の優秀さ。
特にミートソースの缶詰は、冷たくても美味しい。
パンを浸してもよし。
そのまま食べてもよし。
栄養価も高い。
こんなに優秀なものを車に積まない阿呆がどこにいるのだ。

この用意周到さ。
転ばぬ先の杖

当方をただの思い込みの激しい、猪突猛進の粗忽者だと思ったら火傷する。


さて、成田空港に停めた車に2人で向かい、乗り込む。
道路の状態はわからない。
高速は使えない。
途中、崖崩れがあるかもしれない。
液状化、陥没などにも注意が必要だ。
田舎のため、山賊、盗賊にも要注意である。
災害時は、人は愚衆化する傾向にある。

しっかりとロックをして、下道をひたすら走る。
途中、ガゾリンスタンドを見つけたのでガソリンを満タンにした。
災害時には、まず、ガソリンを満タンにしておくのは鉄則である。

実はこの日は3月12日であり、日本では、スーパーやコンビニから食料が消えていた。
物流がストップしたからである。
平生から食糧を備蓄していない者や自給自足の生活をしていない者は、こんな時は人の好意か行政に頼るしかなくなる。
心配しすぎは良くないが、あらゆることを想像、想定し、楽しみながら災害に備えることは必要なことである。
この日、日本では、ガソリンを入れるために5時間以上並んだ諸兄もいた。
また、ガソリンスタンドは、殆どクローズであった。
だが、成田の田舎道のガソリンスタンドだけは、給油する人もなく、ガソリンもふんだんにあり、当方は難なく満タンにできたのである。

当方がいかに強運の持ち主か、このことひとつをとってみてもお分かりいただけるであろう。

途中、道路の大きな破損はなかったものの、平生ならば下道で1時間ほどで帰宅できるところを慎重かつ丁寧に運転したため、3時間以上かかって漸く懐かしの我が家に着いた。
大切な義母を乗せているのである。
義母の眠りを妨げないように心を込めて運転をした結果の所要時間であった。

あまりにも良い嫁すぎて、涙が止まらない。

自宅の有様

全く以上なし。
外観は、窓も破損しておらず、壁にクラックも入っていない。
鍵を開けて中に入る。

通電している。
冷蔵庫の中の食糧、大丈夫。
食器棚、テレビ、電子レンジなど倒れておらず大丈夫。
他、何も倒れていない。
当方と義母が出発したままの状態である。

拙宅だけ時が止まっているかのよう…。

そうだ!
クーとアンは?(我が家の猫である)

怯えていたものの、元気にしていた。
すぐに水を与え、ご飯もあげる。

娘と連れ合いは帰宅できないようだが、生きてさえいればまた、いつか会える。

あ〜〜我が家よ〜〜🎶

と熱唱していると
「Anguさん、私は明日、九州に帰よるね。水や食糧は九州から送るから、安心しなさい。それやっても足りんようだったら、みんなで九州に住めばよかろうもん。」

「?」

『は?いやいやいや。九州に移住するのは一向に構わないけれども、なぜに今さっき這々の体でで自宅にやっと帰ってきたのに、明日、九州に帰るの?大体において飛行機も新幹線も動いていないよね?おかあさんは、何か混乱しているのか?それとも、テニス仲間や美術館仲間(義母は北九州市立美術館で来館者に作品の説明のボランティアをしていた)が恋しくなったのか?それにしても日本が大混乱に陥っている時に、カンボジアから帰国して翌日にもう、四街道から九州に帰宅するなど正気の沙汰ではない。江戸時代の人のように歩いて帰るつもりか?日数はどれくらいかかるんだろう。いくら義母が健脚だとしても最低一月はかかるのではないか?路銀はあるのか?野宿の体制か?3月はまだ冷える。年寄りは体温調節が下手なので、凍死するかもしれない。ここは、当方が車で九州まで送るしかない。しかし、なぜにそんなに急いで九州に帰る必要があるのか?もしかして彼氏がいるのか?そうだ!お母さんには恋人がいるんだ。だから会いたくて恋しくて仕方ないんだ。故に、帰宅困難者になっている実の息子の顔も見ずに九州に帰ると言い出したんだ。恋は盲目。恋は狂気。老いらくの恋♡』

と当方の困惑をよそに義母が一言

「関東は、放射能が降りよるけん怖いのよ」

『は?放射能?何、それ?え?この日本国の混乱に乗じて、某国が原爆でも打ち込んだのか?』

さあ、この義母の謎の爆弾発言
事情が分からずに、義母の彼氏を想像する当方

完結編と銘打っておいて明日に続ける肝の太さ

ところで、3月11日だからこそ、当方が推薦する書籍がある。
ベア・グリルス著『サバイバル術』
である。
これを愛読書に加えて頂きたい。
当方は、この本を熟読して数々の危難を乗り越えた。
諸兄の皆様の一助になること請け合いである。

「命!燃やしていますか?」

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