義母と嫁のサバイバル・閉店詐欺

2024年03月12日 08:09

「本日より4日間、閉店セール!これが最後のチャンス!全品半額!」

よく、このような張り紙が店頭に貼られて一年経過
閉店詐欺である。
毎日が閉店セール
いつ、閉店するのか。
いっそのこと、開店セールにすればいいのに。

当方のブログの現況が、この閉店セール詐欺と同じになっているとの指摘を娘から受け、本日、本当に義母とのカンボジアの話をお開きにしたいと思う。

さて、以下の引用をご覧頂きたい。

引用:ウェキペデア

「福島第一原子力発電所(ふくしまだいいちげんしりょくはつでんしょ、英称:Fukushima Daiichi Nuclear Power Station[1])は、福島県双葉郡大熊町・双葉町に立地した、東京電力の廃止された原子力発電所である。略称は福島第一原発(ふくしまだいいちげんぱつ)、1F(いちエフ)。
1973年1号機の運転が開始され、以降1979年までに6号機までの6つの原子炉が順次運転を開始した。2011年(平成23年)3月11日、1 - 4号機において東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に起因する炉心溶融や建屋爆発事故などが連続発生し、INESレベル7に分類される重大事故が発生した。それを受け、翌年4月に事故を起こした1 - 4号機が廃止、定期点検中で比較的被害も少なかった5・6号機も再稼働することなく2014年1月に廃止された。現在は全ての原子炉において廃炉作業が続けられている。」

日本の原発がどこに幾つあり、稼働数は幾つなのか直ぐに答えられるだろうか?

https://www.nra.go.jp/jimusho/unten_jokyo.html

↑ 原子力規制委員会のリンクである。
ご覧になられた御仁はおられるか?

http://www.ene100.jp/www/wp-content/uploads/zumen/4-1-3.pdf
↑また、これが原発の場所である。

当方は、自然保護団体でも護憲派でも左翼でもない。
事実を提示して持論を展開するのみである。

さて、事情が理解できずに、義母は何を持って関東に放射能が降ると言っているのか?
いや、明日は義母を九州まで車で送らねばならない。
その体力と気力が当方に果たしてあるのだろうか?
義母の恋人には挨拶をした方が良いのだろうか?

などと思考していると、テレビで福一の映像が映った。

これか!
菅直人の間抜け面がアップとなる。

先のブログにも記載したが、人は危難や困難に遭った時こそその技量が試される。

『菅直人、終わったな』

と当方は思った。

この国難と言っても過言でない状況で、行政の最高司令官である内閣総理大臣が、国民の前で顔色を変えて明らかにイラついている。
どんな集団でも頭は、絶対に負の感情を表出させてはならない。
時には、集団をコントロールするために、計算された怒りや焦燥を演じることはあっても、真の感情を負の形で表出させてしまえば、個人は不安となり、結果、個人で形成されている集団もパニックに陥る。
これは、暴走族のヘッドになった者でも同様である。

さて、事情が飲み込めた当方は、次に持論の正しさを確認する。
当方は、予備校で講師をしていた。
科目は、現国、古文、漢文、論文、日本史、世界史、地理、倫理、公民、政経そして時々は理科系も教導した。
政経の講義の時に、
「日本の原発の位置が全部言えるか?」
と生徒に問うた。
答えられる者は誰もいない。
東大や国立大医学部を目指しているにも関わらずだ。

次に
「皇居の場所は分かるか?」
と問う。

答えられない馬鹿はいない。
むしろAngu先生はなんでそんな質問をするのか?
我々は選民だ。
東大に行くんだぞ。
俺たちや私たちを馬鹿にしているのではないか?
という顔つきだ。

そこで当方は一言

「原発ってさあ、海の近くに作らないとダメんだよねえ。冷却水に大量の海水を使うからさあ。それに事故った時に海洋に流しちゃえばいいやって考えて作っているんだよねえ。作ったはいいけれど手に負えない状況だからさあ。それにね。安全安心って言っているでしょう。本当かなあ。それだったら何で、東京湾とか房総に作らないのかなあ?地震?ああ、南海東南海東海地震ね。トラフだよね。それが心配だから東京湾には作らないってか。じゃあ、浜岡原発はどうなの?近くにフォッサマグナだよ。日本中、活断層だらけだし、まだ見つかっていない活断層もあるしね。日本自体も4つのプレートに乗っかってるじゃん。そんなところに原発を作るなんて狂気の沙汰としか考えられないよ。世界で唯一、原爆落とされた国でさあ、核の厄介なことは一番分かっている筈ななのに。事故ったら、政府や電力会社は責任取れるのかね?あ、皇居の話?東京湾に作らないのは、皇居と国家議事堂があるからに決まってるじゃん。天皇陛下とその血族に何かあったら、日本国は国体を維持できないし、首都東京が壊滅的な被害を受けたら、今度こそアメリカの植民地になるかもしれないしね。それで、税収が少ない海沿いの地方公共団体にさあ、補助金を交付して原発を作らせてもらうんだよ。地方公共団体は、財政が潤うし、地域の住民は、雇用も増えるし、店も繁盛するしね。もちつもたれつの関係を作るの。人間はね、目先の利益に弱いし、お上が安全だと言えば、安全が担保されたと信じるからね。でもね、行政なんて当てにならないよ。特に日本国においては、個々人が自立自活していくことを考えて生活しないと安心の老後はないね。国や行政、所謂政治ってのはね、国民を守ることもするけれど、国民の命を犠牲にして国体を守ろうともするんだよ。合法的に国民の命も奪うこともできるしね。物事には必ず裏と表があるの。常に正しいこと、普遍的に正しいことなんかない。だからこそ、日本国をこれから牽引していくあんたたちには、裏も表も国民を守ることを第一に考えて欲しいんだよ。それと同時に日本国を守ることもね。」

講義していたことは間違いではなかった。

義母は、放射能に汚染されつつある関東から一刻も早く脱出したいのである。
当方は、風向きもあるし、どれくらいの量の放射能が放出されているのか現況は不明だし、万が一、被爆してもその影響が出るのは10年くらいかかるのだから、義母はもしかしたらその頃にはお父さんと再会しているかもしれないしとなどとさまざまに説得を試みた。
だが、頑なな義母の心を氷解することは困難を極めた。

石田三成

頭に過ぎる(よぎる)


三成は、関ヶ原に敗れ、六条河原で処刑される前に
「何か望みはないか?」
と聞かれ
「喉が渇いた。水を一杯くれ。」
と申し出た。
「生憎だが、水はない。干し柿があるのでこれを水の代わりにとして食すが良かろう。」
と言われ
「干し柿は体を冷やすので良くない。お断りする。」
と答えた。
処刑人は
「これから斬首されるのに、何を体を慈しんでいるのだ。」
と嗤ったが三成は、
「武将たる者、どんな状況に置かれても挽回の余地があると鑑みねばならぬ。故に我が身を大切に思うのだ。」

当年とって77歳
平均寿命から考えればあと余命10年
別に放射能を浴びたってよくね?

と考えるのは素人であった。

息災で長生きする者はやはり違う。
常に石田三成の心を失念しない。
昭和8年、酉年生まれの義母
今日現在、ボケの兆候皆無、杖なしで20キロを4時間で歩く健脚、食欲旺盛、好奇心に満ちた毎日である。

義母は当方の心のこもった説得には応じず、新幹線に乗るために東京駅に向かうので、四街道の駅まで送れと言う。

ハンドルを握りながら
「お母さん、いいですか?新幹線が動いていなかったら、四街道に引き返すんですよ。すぐに公衆電話から家電してくださいね。番号はわかりますか?10円玉は持っていますよね?途中で新幹線が止まったり、余震があったら奈良子さん(義母の本当の娘、当方より歳は上だが、義妹になる。)のところに連絡して、奈良子さんの家に滞在してくださいね。もし、そこも遠いようでしたら、私がどんなことがあっても迎えに行きますから。ご飯はちゃんと食べてくださいね。年寄りは水を飲まないとダメですよ。新幹線が動いていても、10時間以上はかかるでしょうから。航空機でエコノミー症候群にならないで、新幹線でエコノミー症候群になったら洒落にならないですからね。あああああ心配だあああ!!!!」
と御託を並べる。

義母は終始無言である。

とうとう義母と別れる瞬間が来た。
四街道南口
餃子の王将前である。

「お母さん、現金はありますよね?大きい荷物は後から宅配便で送ります。いつになるかわかりませんが。ネットのニュースに惑わされてはダメですよ。余震があって群衆が逃げ惑った時には、群衆の逃げる方向を良く見て、反対方向の出口を探してください。群衆心理で動いた時には碌なことがありませんからね。人が多く動くと転ぶドジな奴が必ずいます。人の波が凶器になります。圧死が一番の死因になりますからね。あと、なんだったけ?」

ベア・グリルスの『サバイバル術』を思い出しながら説諭を続けようとすると義母は笑顔で


「Anguさん、心配なかろうよ。私はねえ最強運の持ち主なんよ。Anguさんが嫁に来て私の娘になってくれたやろう。これ以上の幸運はないやろ。」





待って。
それ、私のセリフ。
寝ていたんじゃないの?
お母さん…
気をつけて。
お母さん。
大好きです。
私のお母さん。


ナイアガラの滝のような涙を流して、餃子の王将前に立ちすくむ当方を置き去りにエスカレーターに乗る義母

振り返って旅の最後の一言
「Anguさん、私のこと、2回、年寄りって言うたやろ。」



呆けずに長生きする秘訣
嫁を持ち上げるだけ持ち上げて、嫁の頭に来る言葉をさらりと受け流し、最後にトドメを刺す。

石田三成じゃあない。

中村主水である。

「お母さん気をつけて!!!」

と一声

義母は無事に15時間掛かって海老津の自宅に帰還した。
恋人の存在は未だ謎である。
その後、義母から大量の水と食糧が送られてきたのは申すまでもなかろう。

さて、今回でカンボジアの話は終わりである。
「おうちに着くまでが遠足」

無事に帰還してこそ、旅は完結するのである。

明日からは、義母とのイタリアの旅編になる。

楽しみで、欣喜雀躍している諸兄の皆さまの姿が確かに見える。

今日は、のんびりと政治学を学ぼう。
午後は雨
雨の日は勉強が捗るのである。

「命!燃やしていますか?」

記事一覧を見る

powered by crayon(クレヨン)